三浦哲郎を旅する。(2)亡き姉思う番町(八戸市)

大日本職業別明細図(1939年発行、八戸市立図書館蔵)の同市役所周辺。青が三浦哲郎さんの生家、赤が亀徳しづの産院。産院前が番町の通り
大日本職業別明細図(1939年発行、八戸市立図書館蔵)の同市役所周辺。青が三浦哲郎さんの生家、赤が亀徳しづの産院。産院前が番町の通り
18歳の少女「れん」が、ゆっくりと通りを行ったり来たり。そうしながら、背中で眠る幼い弟「羊吉」に、なぜ自分はもうすぐ“出発”しなければならないのかを優しく語り掛ける。彼女はその3日後、羊吉の誕生日に自ら命を絶った。 八戸市出身の作家三浦哲郎.....
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18歳の少女「れん」が、ゆっくりと通りを行ったり来たり。そうしながら、背中で眠る幼い弟「羊吉」に、なぜ自分はもうすぐ“出発”しなければならないのかを優しく語り掛ける。彼女はその3日後、羊吉の誕生日に自ら命を絶った。[br][br] 八戸市出身の作家三浦哲郎さんが3年半にわたって雑誌に連載した長編「白夜を旅する人々」。れんの決断は、連鎖的にきょうだいの悲劇を招くことになる。[br][br] 弟に思いを語る場面は、同市番町の通りが舞台とされる。現在、同地のマンション前に、「白夜~」ゆかりの通りとして案内板が設置されている。[br][br] 三浦さんは、6人きょうだいの末っ子だ。男3人、女3人。長姉と三姉は先天性色素欠乏症で肌も髪も白く、弱視だった。[br][br] 「れん」のモデルとなった次姉が、青函連絡船から津軽海峡へ身を投げたのは1937年3月16日、三浦さんの6歳(作中では3歳)の誕生日のことだ。同年夏には長兄が失踪、翌年秋には長姉が睡眠薬で自殺した。「白夜~」の中では無事の次兄も、三浦さんが19歳の時に行方不明となった。三浦さんは早稲田大休学と帰郷を余儀なくされる。[br][br] 姉はなぜ自分の誕生日に死んだのか―。苦悩を乗り越えて作家となった三浦さんが、真正面から兄姉の死や失踪に向き合い、自分なりの答えを出そうと挑んだのが本作である。[br][br] 同市の三浦哲郎文学顕彰協議会の森林康会長(82)は「三浦さんはこれを書くために作家になったと言っていい。兄姉の死を恥じていたが、太宰治の『晩年』を読み、彼らの思いを代弁するのが末弟の役割だと考えるようになった」と指摘する。[br][br] 三浦さんは、小中高校の同級生で八戸の歯科医・故立花義康さんに宛てた85年10月2日付のはがき(同市立図書館所蔵)で、同作が文壇で評価されたことについて「勇気を出して、あれを書いて本当によかったと思います。大変幸福です」と感慨をつづった。晩年には、未完に終わったが、自身と共に長生きしたすぐ上の姉を主人公に、続編「暁の鐘」の執筆に取り掛かっていた。[br][br] 作中には「耶蘇教(キリスト教)の助産婦」が登場し、羊吉を生むかどうか悩む母に出産するよう説き伏せる。彼女のモデルとなったのは、八戸助産師界の草分けである亀徳しづ(1878~1966年)だ。[br][br] 和歌山県に生まれたしづは東京の立教女学校卒業後、キリスト教伝道士の父がいる八戸にやって来て結婚。しかし、夫は姿を消してしまい、助産師として生計を立てる。旧来の不衛生な出産環境の改善に奔走したその生涯は、三浦さんが本人を取材して「しづ女の生涯」として小説化。テレビドラマにもなった。番町のNCビル前には、かつてしづの産院があった場所として案内板が立っている。[br][br] 祖母橋本まつさんが助産師で、しづの弟子だったという、市文化財審議委員の滝尻善英さん(63)。一番上の兄と姉が生まれた時の出産祝いをまとめた帳簿が残っており、しづからお金やおしめカバーが贈られた記述があった。滝尻さんは「風当たりが強い中、信念を貫き旧式の助産師のやり方を改めた。面倒見もよく慕われたと聞く」と語る。[br][br] しづが三浦さんの母を励ましたのは実話のようだ。「しづ女~」書籍化の際のあとがきで、三浦さんは「もし母親の相談相手が亀徳さんでなかったら、私は闇に葬られて」いたかもしれない、とつづっている。[br][br] きょうだいの滅びの始まりと、三浦さん出生にまつわる秘話。番町は、三浦文学の根底にある“生と死”が交錯する地なのだ。 連載の1回目はこちらhttps://www.daily-tohoku.news/archives/61547 大日本職業別明細図(1939年発行、八戸市立図書館蔵)の同市役所周辺。青が三浦哲郎さんの生家、赤が亀徳しづの産院。産院前が番町の通り