震災翌日生まれた命 大手術乗り越え「将来はお母さんみたいに」

あす12日、10歳になる坪胡々菜さん(中央)と、忠之さん(左)聖子さん夫婦。大震災と大手術を乗り越え、すくすくと育った胡々菜さんの将来の目標は、聖子さんのような優しい母になることだ=2月下旬、八戸市新井田
あす12日、10歳になる坪胡々菜さん(中央)と、忠之さん(左)聖子さん夫婦。大震災と大手術を乗り越え、すくすくと育った胡々菜さんの将来の目標は、聖子さんのような優しい母になることだ=2月下旬、八戸市新井田
2011年3月11日午後2時46分、八戸市新井田の坪聖子さん(45)は激しい揺れの中、大きなおなかをかばいながら必死に椅子にしがみついていた。入院していた市内の病院は停電。冷え込んだ真っ暗な病室で不安な夜を過ごした。翌12日未明、陣痛が始ま.....
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 2011年3月11日午後2時46分、八戸市新井田の坪聖子さん(45)は激しい揺れの中、大きなおなかをかばいながら必死に椅子にしがみついていた。入院していた市内の病院は停電。冷え込んだ真っ暗な病室で不安な夜を過ごした。翌12日未明、陣痛が始まり、朝に次女・胡々菜(ここな)ちゃんは生まれた。しかし、待ち焦がれたわが子を腕に抱く間もなく、運ばれていった。[br][br]   ■    □[br][br] 当時、35歳で2児の母だった聖子さん。出産予定日を1週間過ぎても、なかなか陣痛がこないため、同年3月7日、同市の苫米地レディースクリニックに入院した。「3人目だし、大丈夫」。少し不安な気持ちもあったが、気長に構えていた。[br][br] 11日、診察室で定期診察を受けていると、突然、大きな揺れに襲われた。悲鳴が上がる院内。「どうしてこんな時に」。おなかの子を案じながら必死に揺れが収まるのを待った。程なくして電気が止まり、暖房が消えた寒い院内で、他の妊婦さんたちと肩を寄せ合った。[br][br] やがて日が暮れ、院内は真っ暗になった。ペットボトルにお湯を入れた即製の湯たんぽを抱き、寒さをしのいだ。[br][br] もし今陣痛が来たらどうなるんだろう―。悪い予感は的中。翌12日午前1時すぎに陣痛が始まり、真っ暗な自室のベッドで痛みと寒さに耐えた。「この状態でお産するのは難しい。朝まで我慢してほしい」と看護師に告げられ、必死で耐えるしかなかった。[br][br] 夜が明けきった午前8時48分、胡々菜ちゃんを出産。しかし、産声がなく、呼吸がなかった。何度も何度も背中をさすり、ようやく泣かせた。鼻腔が狭く、呼吸用のチューブが入らなかった。医師の判断ですぐに市内の日赤病院へ搬送された。[br][br] 異常事態のさなか、新生児集中治療室の保育器で懸命に息をする胡々菜ちゃん。父の忠之さんは、ガラス越しに小さなわが子を眺め「生きてくれ」と願った。[br][br] その後、胡々菜ちゃんは生まれつき頭蓋骨の癒着が早く、脳の発達が妨げられていることが分かった。1歳4カ月の時、岩手医科大で頭蓋骨を広げプレートを埋め込む大手術が行われた。「本人の生命力を信じてください」。そう医師から告げられ、祈り続けた聖子さんと忠之さん。手術は8時間にも及んだ。[br][br]   □    ■[br][br] あす12日、胡々菜さんは10歳の誕生日を迎える。手術は無事成功。大震災と大手術を乗り越え、両親と2人のきょうだいに囲まれながら、すくすくと育った。習字が大の得意で、段位を取ることができた。昨年から新たに家族に加わったポメニラアンの愛犬モカとは大の仲良し。4月からは小学5年生になる。[br][br] 「生きているだけでありがたいのに。大きくなってくれてありがとうね」。10年を振り返り、聖子さんはまな娘に照れくさそうに語りかける。[br][br] そして胡々菜さんは無邪気に答えた。「将来はお母さんみたいになって、かわいい女の子を産みたい」あす12日、10歳になる坪胡々菜さん(中央)と、忠之さん(左)聖子さん夫婦。大震災と大手術を乗り越え、すくすくと育った胡々菜さんの将来の目標は、聖子さんのような優しい母になることだ=2月下旬、八戸市新井田