【刻む記憶 鉄路をつなげ】(5)東北エモーション

震災後に企画され人気列車となった「東北エモーション」。大漁旗を振って乗客をおもてなしする「洋野エモーション」は今や風物詩となった=2020年7月20日
震災後に企画され人気列車となった「東北エモーション」。大漁旗を振って乗客をおもてなしする「洋野エモーション」は今や風物詩となった=2020年7月20日
東日本大震災で被災したJR東日本管内の在来線で一番早く全線復旧を果たした八戸線。同線では復旧を機に、八戸―久慈間で新たな車両を走らせる計画が立てられた。レストラン列車「東北エモーション」だ。 大きな被害を受けた管内では、岩手、宮城両県を結ぶ.....
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 東日本大震災で被災したJR東日本管内の在来線で一番早く全線復旧を果たした八戸線。同線では復旧を機に、八戸―久慈間で新たな車両を走らせる計画が立てられた。レストラン列車「東北エモーション」だ。[br][br] 大きな被害を受けた管内では、岩手、宮城両県を結ぶ大船渡線で観光列車「ポケモントレイン気仙沼号」が2012年12月に運行を開始するなど、被災地への誘客を目的とした列車が続々と投入されていた。[br][br] 完全予約制のフルコースを楽しめる東北エモーションは、まるで「移動するレストラン」。東日本では例がない画期的なものだった。太平洋の海の恵みや山の幸がそろった東北の食を伝えたい―。13年2月に同社から年内の導入が発表されると大きな話題を呼んだ。[br][br] デビューの10月19日は青天だった。気動車キハ110系を改造した、レンガや木目を思わせる外装の白い3両編成の列車は、八戸駅から復興の願いを乗せて走りだした。車窓の絶景も手伝い、数カ月先まで予約が取れないほどの人気となった。[br][br]  ◇  ◇  ◇[br][br] 運行開始1カ月後の11月下旬、洋野町の宿戸大浜を通った時、思いがけないことが起こった。突如、窓の外に大漁旗がはためいた。潜水服姿の「南部もぐり」も手を振っていた。「復興した元気な姿を見せたい」と地域住民や岩手県立種市高海洋開発科の生徒らが始めたおもてなしだった。「涙が出そう」。思いは乗客に届いた。[br][br] この活動の発端は、町復興支援員の宮本慶子さん(35)が、試乗会に参加した際に車窓の景色に感動し、ブログに「ここで大漁旗を振るしかない」と書き込んだことだった。見る見るうちに輪は広がり、一連の行動は「洋野エモーション」と呼ばれるようになった。[br][br]  ◇  ◇  ◇[br][br] 実は東北エモーションのデビュー前、八戸駅では列車の定員48席にちなみ、「HTE48(Hachinohe Team Emotion)」と銘打った、駅員たちによるチームが立ち上がっていた。[br][br] 週に一度の話し合いでは「沿線の人たちに大漁旗を振ってもらっては」という提案もあった。ただ、通過駅の洋野の住民らの協力を得なければならないことや、強制のようになれば、長続きしないと立ち消えになっていた。[br][br] 「皆さんが自発的に旗を振ってくれたことがうれしい」。これまでの経緯を知るHTE48のメンバーで関連会社に出向していた前八戸地区駅長の西野重俊さん(57)は、驚きの報告に胸を熱くした。[br][br] 震災から10年。絆は今もつながる。洋野エモーションにはその後、JR社員も参加し、新入社員研修に取り入れられた。白い列車を迎える大漁旗は、すっかり風物詩だ。[br](肩書、年齢は当時)震災後に企画され人気列車となった「東北エモーション」。大漁旗を振って乗客をおもてなしする「洋野エモーション」は今や風物詩となった=2020年7月20日