東日本大震災今年で10年 “あの日”語り継ぐ

肌を突き刺すような冷たい風が吹き付けた12月下旬の野田村。“あの日”全てを奪った海は穏やかで、静かに波の音を響かせていた。その背後に広がる小さな漁村の中心部には、建てられて間もない家屋や店舗と、雑草に覆われた手つかずの土地が点在し、どこかア.....
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 肌を突き刺すような冷たい風が吹き付けた12月下旬の野田村。“あの日”全てを奪った海は穏やかで、静かに波の音を響かせていた。その背後に広がる小さな漁村の中心部には、建てられて間もない家屋や店舗と、雑草に覆われた手つかずの土地が点在し、どこかアンバランスな街並みが、これまでの歩みを物語っていた。深い悲しみの中にいた住民たちは、再び立ち上がり、犠牲者の思いを胸にこの10年を進み続けてきた。[br][br] 2011年3月11日に発生した東日本大震災から今年で10年の節目を迎える。大津波は太平洋沿岸に押し寄せ、死者・行方不明者が1万8千人超に及んだ。未曽有の大災害に、人々はなすすべなく立ち尽くした。[br][br] 北奥羽地方でも家屋などが流され、ライフラインは寸断されるなど、生活が一変した。それでも強い「絆」の下、復興に取り組んできた。[br][br] 各地では、防潮堤の整備が行われ、避難所機能を併せ持つ観光やスポーツの拠点の建設が進むなど防災機能を強化した。沿岸部の住宅の一部は高台へ移転。復興道路に位置付けられた三陸沿岸道路は、3月に八戸―久慈間がつながる見通しで、21年内に仙台までの全線開通を控える。[br][br] 一方、日常で震災について話す機会は減った。震災を知らない次の世代へ伝えることも新たな課題だ。[br][br] 「もう10年…いや、まだ10年かな」。大津波で友人を亡くした野田村の男性(76)はゆっくりと口を開いた。「思い出すのはつらいが、震災について話す場もない」。今なお悲しみを抱える被災者は、流れゆく月日の中で葛藤する。[br][br] 津波の時は愛宕山に逃げろ―。野田では、古くからの言い伝えが多くの命を救った。愛宕山は村中心部を見下ろせる高台に立つ神社で、震災時は住民たちが避難した。先人のメッセージが時代を超えた。[br][br] 教訓を伝えていくことは、震災を経験した、全ての人の役目だろう。あの日を語り継ぎ、子どもらと一緒に地域の未来を築いていかなければならない。