【刻む記憶~東日本大震災10年】津波で失った本店を再建 「はまなす亭」(洋野)の庭さん

防潮堤内側に再建した「はまなす亭」本店。「動き出すこと」で前向きになれたと振り返る庭静子さん=2日、洋野町種市
防潮堤内側に再建した「はまなす亭」本店。「動き出すこと」で前向きになれたと振り返る庭静子さん=2日、洋野町種市
洋野町種市で地元産のウニやホヤを使った料理を提供する創業22年の「はまなす亭」。庭静子取締役(71)は東日本大震災発生時、できたばかりの2号店にいた。新店は被災を免れたものの、海沿いの本店を津波で失った。昨日までの喜びは消え、思い出の詰まっ.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
洋野町種市で地元産のウニやホヤを使った料理を提供する創業22年の「はまなす亭」。庭静子取締役(71)は東日本大震災発生時、できたばかりの2号店にいた。新店は被災を免れたものの、海沿いの本店を津波で失った。昨日までの喜びは消え、思い出の詰まった創業の地を見詰め、ぼうぜんと立ち尽くした。あの日から間もなく10年―。新しくなった本店で忙しそうに働く庭さんは「悲しいことも怒りもあったが、みんなに助けられ、いいことが重なったのが、今につながっている」と前を向く。[br][br] 2011年3月11日。経営などの勉強に熱心な庭さんは、この日も久慈市内で開かれる勉強会に行くため、注文を受けた弁当70個を持って出掛けた。午前の部が終わり、昼食を取っていると胸騒ぎがし、なぜか帰らなければいけない気がした。午後の部は参加せず、国道45号沿いの「たねいち産直ふれあい広場」内に8日に開店したばかりの2号店に向けて車を走らせた。[br][br] 店に戻り、従業員と一緒に休憩時間を取っていた時、あの大きな揺れが起こった。コーヒーカップ片手に駐車場に出ると、「潮が引いていき、海が見たことのない色になっていた。大きい津波が来ると分かった」。火の始末だけをして、自宅へ急いだ。[br][br] 新店舗は本来、もう少し後に開店する予定だったが、上京などの用事が重なり早めていた。2号店の運営に集中するため、津波にのまれた本店は一時閉館中で、オープンを早める決断が、結果的に人的被害を食い止める格好となった。[br][br] 「2号店には食材がたくさんある。町民のみんなにおいしいものを作ってあげたい」と震災3日後には店を開けた。当初は無料で振る舞うつもりだったが、訪れた人たちは「一番被害を受けたのは庭さんだ」と言って代金を置いていった。[br][br] 震災直後は、先が見えず、その日を乗り切るのに必死な毎日だった。「頑張って」という言葉がつらく心に刺さったこともあった。「頑張っているから立ち上がり、商売をしている。これ以上何を頑張ればいいのか…」。[br][br] 苦しくても進み続けるしかなかった。震災から1年後、被災した店舗から約100メートル離れた防潮堤の内側に本店を再建。開店日は2号店と同じ3月8日に合わせた。「立ち上がることは普通で、動き出すことを頑張ると言うんだ」。励ましが重荷にならなくなったのは2年がたつ頃だった。[br][br] この10年で頼もしい後継者もできた。長女の衣津子さん(45)が昨年、仕事を辞め、店に加わり、これを機に株式会社化した。[br][br] これまでの歩みを振り返り、「ピンチを数えたらきりがないけれど、今が一番楽しいかな」と優しくほほ笑む庭さん。「はまなす亭が町の魅力を伝えていく場所になっていったらいいな」と未来を見据える。防潮堤内側に再建した「はまなす亭」本店。「動き出すこと」で前向きになれたと振り返る庭静子さん=2日、洋野町種市