【刻む記憶~東日本大震災10年】周囲や家族の支えに感謝 再建果たした岩徹養豚(おいらせ)

「助け合いの大切さを忘れてはいけない」と話す岩徹養豚代表の岩崎幸子さん。震災を乗り越え、経営規模は当時を上回る=10月下旬、おいらせ町
「助け合いの大切さを忘れてはいけない」と話す岩徹養豚代表の岩崎幸子さん。震災を乗り越え、経営規模は当時を上回る=10月下旬、おいらせ町
10月下旬、おいらせ町二川目向平の高台の豚舎に、岩徹養豚代表の岩崎幸子さん(70)の姿があった。あの日―。津波が思い出の詰まった豚舎をのみ込んだ。海岸に近かった当時の建物は無残に崩れ落ち、飼育する大部分の豚約1500頭を失った。だが、下を向.....
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 10月下旬、おいらせ町二川目向平の高台の豚舎に、岩徹養豚代表の岩崎幸子さん(70)の姿があった。あの日―。津波が思い出の詰まった豚舎をのみ込んだ。海岸に近かった当時の建物は無残に崩れ落ち、飼育する大部分の豚約1500頭を失った。だが、下を向いている暇はなかった。無我夢中で10年を駆け抜けた。東日本大震災を機に移転した施設で仕事に励む岩崎さんは「たくさんの方の支えで再建できた。大変なこともいろいろあったが、仕事ができることに感謝している」としみじみと語る。[br][br] 津波におびえながら豚舎を訪れたのは震災の翌日だった。6棟のうち5棟が全壊。屋根の下敷きとなり死んでいる豚や、泥だらけで逃げ回る豚の姿に絶句した。「育ててきた豚が苦しむ姿が本当にかわいそうだった」。胸を締め付けるような痛みは生々しく心に残る。[br][br] 地元住民や米軍のボランティアの協力も得て、がれきや死んだ豚を撤去した。つらい作業に当たる中で、周囲の人たちのぬくもりが、再び立ち上がる勇気をくれた。「たくさんの協力があり、もう一度頑張ろうという気持ちになった」。[br][br] 倒壊した豚舎の片付けを行う傍ら、2011年5月から国の補助金を活用した経営再建に着手した。先の見えない不安に押しつぶされそうになりながらも「ピンチをチャンスに変える」と前向きな当時の代表で夫の徹男さん(73)の背中に何度も励まされた。[br][br] 最新の防菌設備などを備えた待望の豚舎が高台に完成したのは12年秋。約1年後の13年10月には初出荷にこぎ着けた。「不安もあったが、また仕事ができると思うとうれしかった」と岩崎さん。どん底から大きな一歩を踏み出した。[br][br] 順調に見えた再建だったが、16年に大黒柱の徹男さんの体に異変が起きた。脳卒中だった。「目の前が真っ暗になり、この先どうしたらいいのか」と悩んだ。[br][br] 支えたのは長男の大輔さんや次男の徹さん、熱心な従業員たちだった。今では、震災前を超える親豚約220頭と出荷用の子豚約3000頭を飼育。「一生懸命走り続けた10年間だった。再建できて本当に良かった」と感慨深げに話す。[br][br] 「助け合いの大切さを決して忘れてはいけない」。震災で学んだ教訓を胸に刻む。養豚場で生産したもみ殻堆肥を地域の農家に無償で提供するようになったのは、そんな思いからだ。[br][br] 豚を育てる楽しさは今も変わらない。「これからも愛情を持って育て、喜んで食べてもらえる豚肉を作る。そして、地域への恩返しをしていきたい」。この10年は家族や地域との絆をより強くした。「助け合いの大切さを忘れてはいけない」と話す岩徹養豚代表の岩崎幸子さん。震災を乗り越え、経営規模は当時を上回る=10月下旬、おいらせ町