【巨人・坂本2000安打】「次は3000本を」光星高時代の関係者祝福

光星高3年時に巨人からドラフト1位で指名され、仮契約を結び笑顔の坂本勇人(右から2人目)=2006年11月5日、八戸パークホテル  
光星高3年時に巨人からドラフト1位で指名され、仮契約を結び笑顔の坂本勇人(右から2人目)=2006年11月5日、八戸パークホテル  
八戸市の光星高(現・八学光星高)から、2006年のプロ野球ドラフト会議で巨人に1位指名され、入団した坂本勇人が、8日のヤクルト戦で通算2千安打を記録した。競争が激しい世界で活躍を続け、史上2番目の若さ、青森県内高校出身のプロ選手初となる偉業.....
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 八戸市の光星高(現・八学光星高)から、2006年のプロ野球ドラフト会議で巨人に1位指名され、入団した坂本勇人が、8日のヤクルト戦で通算2千安打を記録した。競争が激しい世界で活躍を続け、史上2番目の若さ、青森県内高校出身のプロ選手初となる偉業達成。坂本の高校時代を知る恩師や同級生、野球関係者らは「誇らしい」「3千本を目指して」と祝福し、さらなる活躍に期待を寄せた。[br][br] 高校時代は4番として06年センバツにも出場した坂本。当時の指揮官・金澤成奉さん(53)=現・明秀日立高(茨城)監督=は「いろいろ手を焼かせられた“やんちゃ坊主”」と当時を評する。[br][br] 8日、金澤さんは東京ドームのバックネット裏で偉業達成の瞬間を見届け、「1打席目で決めてくれてホッとした」。一方で「高校時代もいい選手ではあったが、プロでこれだけの結果を残すまでになるとは、想像できなかったな」と成長ぶりに驚きを隠さない。 [br][br] 試合後のインタビューで、恩師への感謝を述べる姿を目の当たりにし「泣かせるようなことを…。リップサービスだろうが、指導者冥利に尽きる」と感慨深げ。坂本の今後には「今以上に野球を楽しみ、一日一日を積み重ねてほしい」とエールを送った。[br][br] 八学光星高の仲井宗基監督(50)は、坂本の在籍当時の野球部長。「センバツで負けてから目の色を変えて練習するようになった印象。プロ入り後も現状に満足せず、日々高みを目指し続けてきたのだろう」と思いをはせた。[br][br] 練習のため快挙の瞬間をオンタイムで見られなかった現・指揮官。「坂本は後輩たちの憧れの的であり、学校の誇り。これからも輝き続けてくれれば」と期待していた。[br][br] 高校時代に同学年のチームメートだった青森中央学院大野球部監督の櫻井祐介さん(32)。「高校時代の話になると、『あのときはきつかったな』と当時に戻ったように笑い合える仲」と目を細める。[br][br] 偉業を達成した親友に「1打席目で決めるのが、勇人らしい」と祝福。活躍は刺激にもなった様子で「第2、第3の坂本を育てられるよう、(野球人として)自分の道を歩みたい」と決意を新たにしていた。[br][br] 「練習、食事、風呂…24時間一緒に居たようなもの。かわいがってもらった」と話すのは、1学年下で同じ遊撃手だった八学光星コーチの津田勇志さん(31)。今も甲子園での試合直後はSNS(会員制交流サイト)で連絡が来るといい、「母校のことは今も気になるようで、試合でミスがあると『何だあのプレーは。ちゃんと指導しろ』と、すかさずメッセージが届きます」とおどける。[br][br] 偉業を達成した“兄貴分”に「常に上を見ている人。3千本を目指しているはずだ」と期待していた。[br][br] 青森県の野球に長年かかわっている八戸市の妻神博明さん(77)は「これだけの選手になったのは驚き」としつつ、「親元を離れて高校時代を青森で過ごし、プロで活躍中の坂本選手。そんな存在に地元の子どもたちがあこがれ、県内の競技レベルも年々高まっている」と功績をたたえた。光星高3年時に巨人からドラフト1位で指名され、仮契約を結び笑顔の坂本勇人(右から2人目)=2006年11月5日、八戸パークホテル