版築土橋は東北最大と判明/南部町・聖寿寺館跡

版築工法の土橋と通路の発掘調査現場。奥に立つ人物の地点を境に、奥に土橋、手前に通路が延びていたとみられる=22日、南部町
版築工法の土橋と通路の発掘調査現場。奥に立つ人物の地点を境に、奥に土橋、手前に通路が延びていたとみられる=22日、南部町
戦国時代に北奥羽地方で最大の勢力を誇った三戸南部氏が拠点とした南部町小向の国史跡「聖寿寺館(しょうじゅじたて)跡」について、町教委は22日、城館北側で確認されていた版築(はんちく)土橋が、室町・戦国時代としては東北最大で、国内でも最大級との.....
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 戦国時代に北奥羽地方で最大の勢力を誇った三戸南部氏が拠点とした南部町小向の国史跡「聖寿寺館(しょうじゅじたて)跡」について、町教委は22日、城館北側で確認されていた版築(はんちく)土橋が、室町・戦国時代としては東北最大で、国内でも最大級との調査結果を発表した。また、土橋の北側では東北地方初となる版築工法の通路も出土。町教委は「三戸南部氏の権威の高さや中央との交流を示す発見」としている。[br][br] 土橋は昨年度の調査で見つかったもので、城館北側の堀に架かる。15世紀末~16世紀前半に造られたとみられ、本年度の調査で長さ約20メートル、通路幅5・4メートル以上、高さ3・6メートル、基底部幅約10メートルと確認された。[br][br] 「版築」は土留めの板を設置した後、黒土や粘土、火山灰などを何層にも突き固める工法で、中国大陸の古代から中世の城壁や日本でも都の土塀などに用いられた。耐久性が大きく向上するのが特長で、聖寿寺館跡の土橋は19世紀まで住民に使われていたという。[br][br] 版築工法の通路は土橋に接続する形で北側に延びる。同工法は手間が掛かることもあり、当時、通路に用いられるのは珍しく、三戸南部氏が高い権威や技術力を持っていたことなどを改めて裏付けた。[br][br] 本年度の調査は今月末で終了する。町教委社会教育課史跡対策室の布施和洋総括主査は、100メートル四方の新区画や礎石建物の痕跡など、この1年の成果を念頭に「新たな発見に伴って謎も増えた。城館の空間利用の想定も根底から覆された」と振り返った。来年度へ向け「城館南側も調査し、正門の位置など往時の城館の姿を解明したい」と述べた。版築工法の土橋と通路の発掘調査現場。奥に立つ人物の地点を境に、奥に土橋、手前に通路が延びていたとみられる=22日、南部町