【刻む記憶~東日本大震災10年】守り抜いた園児、高校生に 浜市川保育園(八戸)当時の園長石田さん

被災した園舎の写真を見て、当時を振り返る石田良二さん=8日、八戸市市川町の浜市川保育園
被災した園舎の写真を見て、当時を振り返る石田良二さん=8日、八戸市市川町の浜市川保育園
五戸川沿いの河口近くに園舎を構える八戸市市川町の認定こども園浜市川保育園。東日本大震災当時、園長を務めた石田良二さん(73)は、園舎の前で津波にのみ込まれながらも、九死に一生を得た。守り抜きたい笑顔があった。園長としての使命感が最後まで園に.....
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五戸川沿いの河口近くに園舎を構える八戸市市川町の認定こども園浜市川保育園。東日本大震災当時、園長を務めた石田良二さん(73)は、園舎の前で津波にのみ込まれながらも、九死に一生を得た。守り抜きたい笑顔があった。園長としての使命感が最後まで園にとどまらせた。「子どもたちが無事だったことが何より」。あの日、家族の腕に包まれていた小さな体は、すっかり大きくなり、特別な年の卒園児たちは、もう高校生になった。[br][br] 2011年3月11日は、卒園式の前日だった。式の準備も一段落し、園児の昼寝がまもなく終わる頃、大きな揺れに襲われた。消防隊員が津波の危険を知らせに来たが、わが身は二の次だった。「まずは園児を避難させないと。迎えに来た保護者も帰さなければ」。責任感だけで園舎の前に立ち続けた。[br][br] 訪れる保護者がようやく途切れた時、下流から黒い塊が迫ってくるのが見えた。「あれは何だ」。そう思った次の瞬間には濁流の中で自由を奪われていた。普段は穏やかな川が牙をむいた。[br][br] やっとの思いで体を立て直すと、そこは園舎裏の多賀小グラウンドだった。「それまで津波なんて想像したことがなかった。今は思い出すだけでも怖いよ」。命からがらたどり着いた避難所で職員や園児と再会した時、安心して全身の力が抜けた。[br][br] 翌日からすぐに園舎の片付けを始めた。園舎はガラスが割れるなど被害はあったが、建物自体は無事で、地域住民の手も借りて、震災から11日後の22日に園児の受け入れを再開した。30日には、延期となっていた卒園式を実施。職員の多くが、無事に晴れの日を迎えられた子どもたちの無邪気な笑顔に涙した。[br][br] あれから10年。園は今も変わらず五戸川沿いにあり、たくさんの笑い声に包まれる。窓の外の景色は様変わりした。四季折々の草花で彩られていた土手はコンクリートで覆われ、季節の移ろいを告げてくれていた頃が懐かしい。[br][br] 職員間の防災意識は一層高まった。毎月の防災訓練では地震の想定を増やし、災害の怖さを伝える紙芝居も多くの種類を読み聞かせる。訓練後には毎回、反省点を共有している。[br][br] 石田さんは今年3月に園長職を退き、現場から一歩引いた立場で子どもの成長を見守る。あの日の出来事は「子どもを預かる責任者として、神様が経験させたこと」と受け止めることにした。[br][br] ただ、そう考えられるようになったのは、尊い命が失われなかったからこそだとも思う。「一人でも犠牲になっていたら、当時のことは今でも話せなかっただろう。けがなく避難できたことが、本当にありがたいことだよ」 被災した園舎の写真を見て、当時を振り返る石田良二さん=8日、八戸市市川町の浜市川保育園