【巡視船しもきた】船長・中村さん(三沢出身)集大成の勤務

「船長として八戸に戻ってこられて幸せ」と思いを語る、巡視船しもきたの中村朗船長=8月下旬、八戸市
「船長として八戸に戻ってこられて幸せ」と思いを語る、巡視船しもきたの中村朗船長=8月下旬、八戸市
八戸海上保安部(松川勝紀部長)で三沢市出身の中村朗(あきら)さん(59)が巡視船「しもきた」(1300トン)の船長として、生まれ育った古里の海の安全を守っている。青森県出身者が同船の船長に就くのは初めて。本年度末に定年を控える中村さんにとっ.....
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八戸海上保安部(松川勝紀部長)で三沢市出身の中村朗(あきら)さん(59)が巡視船「しもきた」(1300トン)の船長として、生まれ育った古里の海の安全を守っている。青森県出身者が同船の船長に就くのは初めて。本年度末に定年を控える中村さんにとって同海保は初任地でもある。約40年ぶりという思い出の地で迎えた、集大成となる勤務に喜びとやりがいをかみしめている。[br] 県立三沢高卒。高校時代は柔道部に所属し、警察官を志す同級生らが多かったことから、警視庁を受験し、合格した。だが、当時は学生運動が盛んで、心配した母の猛反対にあった。一方で「昨晩、お前が船長になっている夢を見た」と母に勧められ、同時に受験していた海上保安官の道を選んだ。[br] 1979年、海上保安学校に入校。その時見た、特殊救難隊の映像にくぎ付けになった。ヘリコプターから海上に降り、遭難者の救助を行うなど特殊な海難事故に対応するスペシャリストの姿に「これは俺がやるしかないって思っちゃった。かっこよかったんだ」と憧れた。[br] 翌80年に八戸に配属。当時はイカやサバが大量に水揚げされ、漁船同士のトラブルが絶えず、「一日中、漁船の間に入って見張っていたこともあった」と懐かしむ。[br] その後、潜水士の資格を取得するため、海上保安大学校へ進んだ。84年には羽田航空基地へ異動し、念願の特殊救難隊として任務に当たった。[br] 和歌山、神戸、塩釜、石垣島なども回った。日本海中部地震、北海道南西沖地震、阪神淡路大震災といった大災害のたび、現場へ急行。甚大な津波被害を受けた北海道奥尻島では潜水士として行方不明者の捜索を行った。「海難救助では、残念だが生存者を助けられることは少ない」。亡きがらを引き揚げ、家族の元へ返した。[br] しもきたの船長就任は今年6月で、「船長として八戸に戻ってこられて幸せ」と目尻を下げる。乗組員には20代が多く、「若い部下たちに培ってきた経験をできるだけ多く伝えたい」と決意。定年までの残りの時間は、将来を託す後進の指導に力を注ぐつもりだ。「船長として八戸に戻ってこられて幸せ」と思いを語る、巡視船しもきたの中村朗船長=8月下旬、八戸市