【連載・東京五輪「リスタート」】(1)本村直樹(7人制ラグビー)

所属先の練習で、仲間と共に汗を流す本村直樹=6月下旬、三重県鈴鹿市(HondaHEAT提供) 
所属先の練習で、仲間と共に汗を流す本村直樹=6月下旬、三重県鈴鹿市(HondaHEAT提供) 
2020年7月24日は本来、歴史的な一日になるはずだった。4カ月前の3月24日、国際オリンピック委員会は、東京五輪・パラリンピックの延期を決定。今年の夏に勝負を懸けていた多くのアスリートが、暫定的な1年後へさまざまな思いを巡らせた。7人制ラ.....
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 2020年7月24日は本来、歴史的な一日になるはずだった。4カ月前の3月24日、国際オリンピック委員会は、東京五輪・パラリンピックの延期を決定。今年の夏に勝負を懸けていた多くのアスリートが、暫定的な1年後へさまざまな思いを巡らせた。7人制ラグビー日本代表候補の本村直樹(28)=八戸市出身、HondaHEAT=もその一人。「延期になっても目標は変わらない。1年後に向かってリスタートを切るだけ」。先延ばしになった大舞台へ向け、再び走り始めている。[br] 延期の一報に、驚きはしなかったが、落胆はあった。昨年11月に右脚腓骨(ひこつ)を骨折。手術と懸命なリハビリの末、4月から完全復帰することが決まっていた。「あと一歩で試合ができる状態まで来ていた」が、お預けを食らった格好。「正直、気持ち的には難しい。今年やってくれる方がもちろん良かった」[br] 今夏にこだわっていた理由がある。19年W杯で一躍時の人となった福岡堅樹(27)=パナソニック=が医学の道へ進むため、代表候補を辞退する意向を表明した。本村にとっては筑波大時代に切磋琢磨(せっさたくま)した同級生。“盟友”と肩を並べて試合に臨むチャンスは、今年だけだった。「五輪が延期になったら、自分はどうするか分からない」。延期前、福岡の口から決断の一端を聞いていた。本人の意思の固さや決めたら最後まで貫く姿勢は学生時代から知っていた。だからこそ、「あと1年一緒にやろう」とは言えなかった。[br] コロナ禍で代表練習は中断となり、4月以降は三重県内の所属先に戻って自主練習を続ける日々が続いた。モチベーションの維持は容易ではなかったが、遠隔で週1回行われる代表ミーティングでチームメートと親交を深め、今後の道筋を確認し合った。[br] 急ピッチでけがからの調整を続けていた右脚を鍛え直すこともできた。「五輪が延期になっても、われわれの目標は変わらない」。代表スタッフ陣の芯の通った言葉にも救われた。[br] 6月下旬に所属チームの練習、同月末には代表練習がそれぞれ再開。選手同士の距離に気を付けてプレーするなど特異な状況下ではあるが、「久しぶりに仲間に会えて、純粋に楽しかった」。[br] 1年後へ、気持ちを切り替えたからには、そう簡単に決意は揺るがない。「ネガティブなニュースが多いが、たくさんの人をラグビーで勇気づけたいし、日本を沸かせるチームになりたい。自分もあと1年、チームのために走り続ける」。日の丸を背負ってひのき舞台に立つその日まで、前進あるのみだ。[br]   □    □   [br] 新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大を受け、史上初の開催延期を余儀なくされた東京五輪。突然与えられた1年という期間を前向きに捉え、再び大舞台へ向けて歩みを進める青森県、岩手県北ゆかりのアスリートの姿を紹介する。所属先の練習で、仲間と共に汗を流す本村直樹=6月下旬、三重県鈴鹿市(HondaHEAT提供)