永島暢子しのび「菊の花忌」/大慈寺

永島暢子をしのび、墓前で手を合わせる参列者
永島暢子をしのび、墓前で手を合わせる参列者
大正、昭和期に女性解放運動家として尽力した、八戸市番町生まれの永島暢子(1897~1946年、本名ヨネ)の遺徳をしのぶ「菊の花忌」が12日、同市の大慈寺で開かれ、参列者13人が故人の眠る墓前で手を合わせた。 永島暢子を偲(しの)ぶ会(内田弘.....
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 大正、昭和期に女性解放運動家として尽力した、八戸市番町生まれの永島暢子(1897~1946年、本名ヨネ)の遺徳をしのぶ「菊の花忌」が12日、同市の大慈寺で開かれ、参列者13人が故人の眠る墓前で手を合わせた。[br] 永島暢子を偲(しの)ぶ会(内田弘志会長)の主催。遺骨が墓に納められた4月12日に合わせて毎年開催しており、今年で7回目。永島が生前に菊の花を好んだことから「菊の花忌」と名付けられた。[br] 同会によると、永島は青森県立実科高等女学校(現八戸東高)を卒業後上京。平塚らいてうらと交流を深め、女性の参政権獲得や繊維女工の支援など、女性の権利や地位向上の活動に尽力したほか、戦災孤児の救援を訴え続けた。[br] この日は、同寺の吉田隆法住職が読経する中、参加者全員が焼香し、故人の生涯に思いをはせた。[br] 内田会長は、「戦前から女性の権利向上に尽くした永島さんの思いを引き継いでいこう」と呼び掛けた。[br] この日予定されていた同会の総会と懇親会は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため延期された。永島暢子をしのび、墓前で手を合わせる参列者