築いた絆これからも 新組えんぶり組(八戸)と高瀬町内会えんぶり組(南部)

新組と高瀬町内会の両えんぶり組のメンバー。互いに行き来して交流を深めてきた=18日、八戸市
新組と高瀬町内会の両えんぶり組のメンバー。互いに行き来して交流を深めてきた=18日、八戸市
新組(八戸市)と高瀬町内会(南部町)の両えんぶり組は、それぞれの地元のえんぶり行事に合わせて、太夫や囃子(はやし)方などで必要な人員を補い合う交流を10年以上続けている。互いの組で異なる演目やお囃子を習得しながら腕を磨き、幾度となく訪れる担.....
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 新組(八戸市)と高瀬町内会(南部町)の両えんぶり組は、それぞれの地元のえんぶり行事に合わせて、太夫や囃子(はやし)方などで必要な人員を補い合う交流を10年以上続けている。互いの組で異なる演目やお囃子を習得しながら腕を磨き、幾度となく訪れる担い手不足の危機も協力して乗り越えてきた。新組代表の椿哲也さん(28)は「切磋琢磨(せっさたくま)して続いてきたこの関係を、これからも大事にしていきたい」と話す。[br] 2組の交流は2008年に始まった。その前年、高瀬町内会えんぶり組は太夫の技術向上を目指し、八戸えんぶりの一斉摺(ず)りを見学した。同組の西野耕太郎さん(69)によると、中でも新組の太夫の摺(す)りに引かれ「動きを教えてくれないか」と新組に頼み込んだ。[br] 高瀬地域のえんぶりは160年ほどの歴史があるという。成り手不足などから1950~60年代にいったん途絶えたが、80年代になり、町内会を中心に再興された。以来、南部町で毎年2月上旬に開かれる南部地方えんぶりに参加している。[br] 復活は果たしたものの、伝統の摺りがいったん途絶えた影響は大きく、西野さんら当時の中心メンバーは太夫の動きに悩んでいた。[br] 相談を受けた新組は指導を快く引き受け、08年1月、高瀬の面々は新組のえんぶり小屋に1週間通い詰め、振り付けを学んだ。西野さんは「思い切って摺りを見直したことが自信につながった」と振り返る。[br] 交流はその後も続いた。09年の南部町でのえんぶりでは、急きょ参加できなくなった高瀬の人員に代わり、新組からの助っ人が参加。反対に、八戸えんぶりには「長者山での奉納に参加してみたい」と、高瀬からの数人が新組に混ざった。[br] 地域住民を中心になんとか組を維持してきた両組にとって、互いの存在はありがたかった。えんぶり期間中、仕事や学校の都合で人手不足になることが度々あったが、太夫やお囃子、舞い手が行き来するのが毎年恒例になっていった。[br] 今年の八戸えんぶりも高瀬から数人が駆けつけた。18日は、門付けで市内の保育園や小学校などを一緒に回った。[br] 5年ほど前から参加する高瀬町内会の西野英賢(ひでさと)さん(34)は、新組の同年代との交流に加え、八戸えんぶりで他の組の摺りやお囃子を見たり、技術を学んだりすることを楽しみにしている。「刺激をもらい頑張ろうと思える」と話す。[br] 高校生の頃から行き来している椿さんは、当初の「手伝う」から「お互いの組の一員」へと意識が変わったという。今後も交流を続けながら「若手や子どもたちが参加し続ける環境を、ともにつくっていきたい」と力強く語った。新組と高瀬町内会の両えんぶり組のメンバー。互いに行き来して交流を深めてきた=18日、八戸市