【八戸三社大祭】弁当提供続け40年 山車組支える夫妻

六日町附祭若者連の歴代の山車の写真を見ながら、思い出を語る中軽米文夫さん(右)と優子さん=24日、八戸市
六日町附祭若者連の歴代の山車の写真を見ながら、思い出を語る中軽米文夫さん(右)と優子さん=24日、八戸市
八戸市南類家1丁目のすし屋「鮨文(すしぶん)」は毎年、八戸三社大祭の期間中、大忙しとなる。店主の中軽米文夫さん(68)、優子さん(68)夫妻が二人三脚で、六日町附祭若者連の弁当を手作りしている。山車の運行前に子どもや大人たちの胃袋を満たし続.....
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 八戸市南類家1丁目のすし屋「鮨文(すしぶん)」は毎年、八戸三社大祭の期間中、大忙しとなる。店主の中軽米文夫さん(68)、優子さん(68)夫妻が二人三脚で、六日町附祭若者連の弁当を手作りしている。山車の運行前に子どもや大人たちの胃袋を満たし続けて約40年。祭りと共に成長してきた娘二人は、嫁いだ今も仕込みに駆け付けてくれる。中軽米さん夫妻は「味も鮮度もこだわって必死に作ってきた。山車組のみんなが元気良く無事に祭りを楽しめたら」と思いを込める。[br] 40年以上前、市中心街で店を構えていたころ、文夫さんは六日町の山車制作に携わっていたお客さんから山車作りの誘いを受けた。岩手県八幡平市出身の文夫さんは「八戸が地元じゃないから、祭りには参加できないと思っていた。声を掛けてくれてうれしかった」と振り返る。それから夜の営業時間以外を山車制作に充てながら、弁当作りにも精を出した。[br] 25年ほど前に現在の店に移転。昼の営業も始めたことで時間的な余裕がなくなり、山車小屋から足が遠のいた。文夫さんは「それなら“胃袋部隊”として六日町の山車組を支えよう」と発起。仕込みや飾り付けがしやすいように座敷にしたかった席をテーブルにするなど、店内の設計も「祭り仕様」にした。多い年には1日に100食以上の弁当をこしらえてきた。今年はほぼ毎日、子ども向けの日替わり弁当約40食と大人用のオードブルを作る。[br] 店内の壁には、歴代の六日町の山車の写真などが飾られている。祭り期間中は、夜は営業をしながら、日中は店を閉めて仕込みをし、運行前に弁当を届けてまた店に戻る。優子さんは「動いている山車をゆっくり見ることはない」と話すが、子どもが減っている中「せめて弁当がおいしいから、ここ(六日町)に参加したいと思ってくれたらうれしい」と願う。[br] 文夫さんには一つ気掛かりなことがある。六日町の山車組は、昨夏の祭り後、地権者の意向で、約20年にわたって鍛冶町に構えていた山車小屋の移転を余儀なくされ、中心街から離れた十日市下樋田に移った。このため、例年とは異なる環境で準備を進めてきた。[br] 文夫さんは「場所が変わって運行など不便だろうが、それをはねのけて楽しんでほしい」とエールを送る。六日町附祭若者連の歴代の山車の写真を見ながら、思い出を語る中軽米文夫さん(右)と優子さん=24日、八戸市