【震災企画「あの日から」】未来への歩み止めず

発生から間もなく10年を迎える東日本大震災。北奥羽地方で生きる人々のこれまでを振り返る(写真はコラージュ)
発生から間もなく10年を迎える東日本大震災。北奥羽地方で生きる人々のこれまでを振り返る(写真はコラージュ)
終わりのないように思えた長く強い揺れ、街をのみ込む大津波、停電で漆黒の闇に包まれた街並み―。10年前の“あの日”、多くの人がこれまでに感じたことのない不安な夜を過ごした。東日本大震災では、北奥羽地方でも津波で尊い命が失われ、建物が押し流され.....
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 終わりのないように思えた長く強い揺れ、街をのみ込む大津波、停電で漆黒の闇に包まれた街並み―。10年前の“あの日”、多くの人がこれまでに感じたことのない不安な夜を過ごした。東日本大震災では、北奥羽地方でも津波で尊い命が失われ、建物が押し流されるなど多くの悲しみが生まれた。それでも人々は前を向き、忘れることができない当時の記憶とともに確かな未来へ歩みを進めている。[br][br]   ◇   ◆[br][br] 2011年3月11日午後2時46分、八戸市湊町の「開洋漁業」代表の河村桂吉さん(69)は、加工場でマグロの解体作業に追われていた。突然の強い揺れに、直感ですぐに津波の到来を予測。第1波が去った後、漁船を泊めていた八戸港へ意を決して向かった。[br][br] 漁船は無事でほっとしていのもつかの間、大きく黒い波が眼前に迫っていた。「感じたことのない恐怖だった」。すぐさまトラックで避難したが、漁船は津波にさらわれてしまった。[br][br] その後、漁船を整備。忙しい日々を過ごし、この10年はあっという間だった。現在は人材の確保や若手の育成にも努め、「仕事のやりがいを次の世代に伝えていくのが自分の使命だよ」と意欲を燃やす。[br][br]   ◆   ◇[br][br] 同市東白山台2丁目で沖縄料理店「ちゅら亭カフェ」を営む玉城みゆきさん(42)は仙台市にいた。海に程近い場所で開かれたイベントに出店中で、大きな揺れの後、避難したビルから津波を見た。[br][br] 車同士がぶつかる音やクラクションが響く中、巨大な波が街をのみ込んでいった。その後、友人らの力を借りて何とか八戸に戻ったが、「しばらくは夜に電気を消すのが怖くなった」。[br][br] 震災からの教訓として、食料や水を備蓄するようになり、店舗を構える際も津波のハザードマップを参考にした。現在は新型コロナウイルスという新たな脅威との戦いを強いられる。「震災時とは違うつらさがある。店を守るためにも多角的な視点で立ち向かいたい」と力を込めた。[br][br]   ◇    ◆[br][br] 国内最大規模を誇る同市の館鼻岸壁朝市を運営する「湊日曜朝市会」代表の慶長春樹さん(68)。同市まつりんぐ広場で開かれていた夕暮れ市の出店中に、大きな揺れを感じた。間もなく停電となり、唯一の情報源となったラジオから、朝市会場の館鼻岸壁へ津波が襲来したことを知った。[br][br] 翌日、岸壁では漁船が打ち上げられる想像を超えた光景が広がっていた。くしくもその年の開幕直前の出来事。2カ月遅れのスタートとなったが、「朝市から八戸の元気を発信しよう」を合言葉に出店者とともに危機を乗り越えてきた。[br][br] 会場が被災したことから、出店者参加の避難訓練を定期的に実施し、今年も3月11日に行う予定。「その日を境に、さらに多くの人が楽しめる朝市をにしていきたい」と決意を新たにする。[br][br]  ……………………[br][br] 東日本大震災の発生から、間もなく10年。それぞれの「3・11」を振り返りながら、目標や夢に向かう北奥羽の人々にスポットライトを当てる。発生から間もなく10年を迎える東日本大震災。北奥羽地方で生きる人々のこれまでを振り返る(写真はコラージュ)