【北奥羽丑(うし)物語】(1)山形村短角牛(久慈市)

平庭闘牛大会で熱戦を繰り広げる牛たち=2019年8月、久慈市
平庭闘牛大会で熱戦を繰り広げる牛たち=2019年8月、久慈市
2021年は丑(うし)年。私たち人間は、古くから農耕や運搬の労力として牛の力を借り、命を頂いて肉を味わってきた。冷涼で自然豊かな北奥羽地域は牛の生育に適した環境で、畜産も盛ん。各地で特徴のある肉牛や乳製品が生産され、闘牛などの独自文化も息づ.....
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 2021年は丑(うし)年。私たち人間は、古くから農耕や運搬の労力として牛の力を借り、命を頂いて肉を味わってきた。冷涼で自然豊かな北奥羽地域は牛の生育に適した環境で、畜産も盛ん。各地で特徴のある肉牛や乳製品が生産され、闘牛などの独自文化も息づく。温厚でマイペースながら、強い意志を秘めた牛のイメージは、なんだか南部人の気質にもつながる。丑年をきっかけに、身近な牛について理解を深めよう。[br][br]◇良質な赤身、闘牛で活躍も[br] 久慈市山形町で生産される「山形村短角牛」。良質な赤身肉が特徴的な日本短角種の地域ブランド牛だが、闘う牛としての一面も持つ。東北唯一の闘牛大会として地元で年4回開かれる平庭闘牛大会で、勇姿を披露している。[br][br] 肉用牛として生産された子牛のうち、生産者が体格や気性が向くと判断した一部が闘牛として育成される。地元だけでなく、闘牛用の「素(もと)牛」として各地に引き取られ、同市出身の牛は新潟県や沖縄県、鹿児島県でも活躍している。[br][br] 体重400キロ前後の2歳でデビューし、その後は実力に応じて番付が決まる。上位の横綱や大関には体重1トン近い牛がそろい、角をぶつけ合う攻防は迫力十分。毎回、千人近い観客を盛り上げている。[br][br] 闘牛の起源は、藩政時代に沿岸と内陸をつないだ交易路「野田街道(通称・塩の道)」。牛の背に塩を積んで輸送させる際、群れを率いるリーダーを決めるために「角突き」が始まったとされる。[br][br] 市教委は2016年、闘牛を市無形民俗文化財に指定。牛と人との関わりを今に伝える闘牛文化の保存に向けて取り組む。平庭闘牛大会で熱戦を繰り広げる牛たち=2019年8月、久慈市