江戸時代造成の小増沢用水「広く伝えたい」 十和田市文化財保護協会が標柱設置

小増沢用水石碑の標柱を設置した関係者
小増沢用水石碑の標柱を設置した関係者
江戸時代後期、地元3村の村人によって造られた十和田市深持地区の小増沢用水を広く伝えようと、市文化財保護協会(中野渡武信会長)は4日、同市深持下中平の秋葉神社境内にある小増沢用水堰石碑の近くに、標柱を設置した。 同協会によると、小増沢用水は熊.....
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 江戸時代後期、地元3村の村人によって造られた十和田市深持地区の小増沢用水を広く伝えようと、市文化財保護協会(中野渡武信会長)は4日、同市深持下中平の秋葉神社境内にある小増沢用水堰石碑の近くに、標柱を設置した。[br][br] 同協会によると、小増沢用水は熊ノ沢川の支流小増沢川から取水し、総延長は約12キロ。トンネルや複雑な地形を掘削し、1826(文政9)年に完成した。[br][br] 当時は藩や御給人、裕福な商人による開拓事業が一般的だったが、地元の深持、中板ノ沢、板ノ沢の村人たちによって行われた特徴があるという。[br][br] この日は同協会や地元の約10人が集まり、高さ2メートルの標柱を立てた。標柱には小増沢用水の概要や、石碑に刻まれた文字などが記されている。[br][br] 中野渡会長は、三本木開拓より30年以上前に完成した開拓事業で、この地域の開田が進み、戸数が増えることにつながったと強調。「価値ある用水路の存在を市民にもっと知ってほしい」と話していた。小増沢用水石碑の標柱を設置した関係者