【刻む記憶~東日本大震災10年】自家製野菜、被災者の力に 山田町へ届け続ける佐藤さん(八戸)

岩手県山田町へ野菜を届け続けている佐藤勝也さん=11月初旬、八戸市 
岩手県山田町へ野菜を届け続けている佐藤勝也さん=11月初旬、八戸市 
今月初め、八戸市のタクシー運転手佐藤勝也さん(72)は、自宅の畑で大根の収穫作業に励んでいた。野菜の栽培を始めたのは2011年。東日本大震のボランティアで訪れた、岩手県山田町へ贈るためだ。「自分にできることをやるだけ」。10度目の秋も、愛情.....
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 今月初め、八戸市のタクシー運転手佐藤勝也さん(72)は、自宅の畑で大根の収穫作業に励んでいた。野菜の栽培を始めたのは2011年。東日本大震のボランティアで訪れた、岩手県山田町へ贈るためだ。「自分にできることをやるだけ」。10度目の秋も、愛情を込めて育てた野菜をトラックいっぱいに積み込み、思いを届けに行った。[br][br] あの日、東北地方の太平洋沿岸は津波に襲われた。自身は難を逃れたものの、各地の甚大な被害を知り、深刻さを痛感した。[br][br] 「何かしなければ」。かき立てられるように、八戸を飛び出したのはその年の5月の大型連休だった。車でとにかく海岸沿いを目指して南下した。汚泥にのまれた家屋やがれきに乗り上げた遊覧船、陸とは対照的な人工物が消えて何もない海…。生々しい震災の爪痕に胸が締め付けられた。[br][br] 約170キロ離れた同町に着いたその日の夕方、任務を終えた県外の医師団を見送る場面に遭遇した。涙を流し感謝する役場職員の姿に心を打たれた。この人たちの力になりたい―。同町にとどまり、残りの休みを支援活動に充てた。[br][br] そこでボランティアに被災者も参加していると知った。一緒に家屋の片付けを手伝った男性からは、老齢の母親や自宅が津波にのまれたと聞いた。悲しみを抱えながら、誰かのために尽くせる強さに頭が下がった。自分にできる「何か」を作業中も考え続けた。[br][br] 転機は3カ月後の8月に訪れた。被災地で仏花が不足しているとニュースで知り、母親を亡くした男性の顔が、頭に浮かんだ。自宅の畑では当時、花を育てており、グラジオラス約110本を摘み取り、同町の仮設住宅へ向かった。[br][br] 男性は最初はびっくりしながらも「母に手向ける」と涙ぐみ、喜んでくれた。持って行った花は仮設住宅に住む人たちに分けられた。「また力になりたい」。帰りの車内で誓った。[br][br] すぐに取り組んだのが、栽培期間の短い、大根作りだった。初挑戦の作物に苦労したが、その秋には取れたての大根を持って、同町を訪ねた。それから、野菜を贈る活動を毎年続ける。作付面積は広がり、長ネギも届けられるようになった。被災地は訪問のたびに新しい建物が増え、海ではカキの養殖も再開された。復興の様子を肌で感じ、喜びを共有してきた。[br][br] この10年で仮設住宅は多くが閉じられた。それでも佐藤さんの活動は終わらない。18年秋からは、震災後に整備された大規模集合住宅の人たちと交流する。[br][br] 今月16日、大根300本と長ネギ千本を今年も届けた。「復興したから終わりではないよ。体が動くうちに、できることをやるだけ」。たくさんの笑顔と美しい海が、空っぽになったトラックを走らせる佐藤さんの心を満たしていた。岩手県山田町へ野菜を届け続けている佐藤勝也さん=11月初旬、八戸市