【斗南藩ゆかりの地探訪】(4)尻屋埼灯台(東通村)

斗南藩の要望により、設置が具体化された尻屋埼灯台=東通村尻屋
斗南藩の要望により、設置が具体化された尻屋埼灯台=東通村尻屋
本州最北東端に位置する東通村の尻屋崎は、尻屋埼灯台と「寒立馬(かんだちめ)」が有名な観光スポットだ。1876(明治9)年10月、東北地方で初めて点灯を開始した洋式灯台は、斗南藩が明治政府に要望したことで設置実現につながった歴史がある。 藩は.....
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 本州最北東端に位置する東通村の尻屋崎は、尻屋埼灯台と「寒立馬(かんだちめ)」が有名な観光スポットだ。1876(明治9)年10月、東北地方で初めて点灯を開始した洋式灯台は、斗南藩が明治政府に要望したことで設置実現につながった歴史がある。[br][br] 藩は71年2月、藩庁を五戸から、近くに良港のある田名部(現むつ市)に移転する。江戸時代にヒバや海産物搬出で南部藩財政を支えていた、安渡(あんど)、大平両村にある港を活用して海運振興を目指すのが目的だった。藩は港を持つ両村を合併し、大湊町と改称する。町名は「奥羽の長崎として大きな湊にする」との思いが込められていたとされる。[br][br] 津軽海峡と太平洋が交わる尻屋崎沖は、海上交通の要衝として昔から重要視されていたが、濃霧や海面下に広がる岩礁で座礁する船が相次ぎ、“難破岬”の別名で恐れられていた。大湊にとっても、太平洋に出入りする貿易船の障害になることが予想された。[br][br] 藩は尻屋崎沖の航行を避けようと、鷹架沼(六ケ所村)から陸奥湾につながる運河の構想も描いたが、莫大な費用を要し、完成も何十年先になるのか分からなかった。[br][br] そこで当面の安全対策にしようとしたのが灯台設置で、71年に藩が政府に要望書を提出している。間もなく廃藩置県が断行され、藩は消滅するが、要望から2年後、政府が実地調査を行って建設に着手する。政府も殖産興業に伴う海運振興の必要性を理解しており、竣工後は船が安全に航行できるようになった。[br][br] 灯台に使われたレンガは藩士の子孫らでつくる斗南會津会の成分分析により、むつ市大畑町の正津川近くで作られたことが最近判明した。レンガは長い間、尻屋地区や函館で作られたとされていたが、同会の坂部啓二事務局長(70)は「これまでの説を覆す発見だ」としている。[br][br] 【レンガ造り 高さ日本一】[br] イギリス人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計。高さ32・8メートルで、レンガ造りで日本一の高さを誇る。霧鐘や霧笛設置、電気式での運用は日本で初めて。国の登録有形文化財、近代化産業遺産などに認定されている。2018年6月から常時一般公開が始まった。期間は4月下旬~11月上旬。昨年は灯台を管理する第2管区海上保安部(宮城県塩釜市)が内装や外装の大規模な改良改修工事を実施。アーチ状に配置された内壁のレンガなど、建築当時の構造の一部が見られるようになった。斗南藩の要望により、設置が具体化された尻屋埼灯台=東通村尻屋