【斗南藩ゆかりの地探訪】(2)円通寺(むつ市)

斗南藩の藩庁が置かれた円通寺=むつ市新町
斗南藩の藩庁が置かれた円通寺=むつ市新町
むつ市中心部、田名部地区の下北交通むつバスターミナルから徒歩で南へ約10分。田名部川を渡り、丁字路を左折すると、斗南藩が藩庁や藩校日新館を置いた円通寺がある。 藩庁は当初、五戸代官所跡に置かれたが、1871(明治4)年2月、同寺に移された。.....
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 むつ市中心部、田名部地区の下北交通むつバスターミナルから徒歩で南へ約10分。田名部川を渡り、丁字路を左折すると、斗南藩が藩庁や藩校日新館を置いた円通寺がある。[br][br] 藩庁は当初、五戸代官所跡に置かれたが、1871(明治4)年2月、同寺に移された。背景には、江戸時代に「田名部七湊(しちそう)」の一つとして、ヒバの搬出で南部藩財政を支えた安渡あんど・大平の港を活用し、海運振興を目指す思惑もあった。[br][br] 斗南藩の政務は、幼い藩主松平容大(かたはる)に代わり、山川浩ら家臣が担った。全国に先駆けて、廃刀令や戸籍作成なども実施した。[br][br] 現在の本堂は建て替えられているが、熊谷紘全(こうぜん)住職(79)によると、以前の本堂には中二階があり、そこで容大が暮らし、女中が面倒を見ていたようだ。容大が玩具として愛用した布袋像は今も保存されている。[br][br] 廃藩置県後の同年7月20日、容大の父で9代会津藩主の容保(かたもり)が養子喜徳(のぶのり)とともに同寺に到着。容大が容保を出迎えると、多くの家臣が感涙にむせんだという。容大と謹慎していた容保はこの日が初対面といわれ、2人は政府の上京命令があるまで約1カ月間、親子水入らずの日々を過ごした。[br][br] 同寺には戊辰戦争で戦死した会津藩士らの名前を記した掛け軸が3幅ある。藩の子弟が書いたもので、1幅当たり約千人分が記してあり、藩にちなんだ記念行事で掲示されている。[br][br] 庭木が手入れされ整然とした境内には、藩士の招魂碑がある。1900(明治33)年8月、藩士の子孫らでつくる斗南會津会の前身の相携会が中心となり、戊辰戦争33回忌法要を機に建立され、毎年6月に慰霊祭が行われる。碑面は成長した容大による揮ごうで、原本となった掛け軸が同寺に保管されている。[br][br] 【藩校日新館】[br] 斗南藩は藩士の生活、藩財政が苦しいにもかかわらず、会津藩時代のように教育への投資は惜しまなかった。優れた文武の教育で有名だった藩校日新館を円通寺に開設し、領内各地に分校に当たる郷学校を設立。藩士の子弟に加え、地元の子どもたちにも開放し、地域の教育水準向上に寄与した。廃藩置県後も青森県内各地の小学校で元藩士らが教員を務め、県の教育振興と人材輩出に貢献した。斗南藩の藩庁が置かれた円通寺=むつ市新町