三本木開拓を主導「新渡戸十次郎」を顕彰 十和田で生誕200年記念大会

ミニフォーラムで新渡戸十次郎の功績について語り合う参加者
ミニフォーラムで新渡戸十次郎の功績について語り合う参加者
現在の十和田市の礎となった三本木原開拓を主導した盛岡藩士・新渡戸十次郎(1820~1867年)の生誕200年記念大会が24日、同市の十和田倶楽部(くらぶ)で開かれ、関係者38人が、改めて十次郎の功績を見詰め直した。 十次郎は岩手県花巻市生ま.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 現在の十和田市の礎となった三本木原開拓を主導した盛岡藩士・新渡戸十次郎(1820~1867年)の生誕200年記念大会が24日、同市の十和田倶楽部(くらぶ)で開かれ、関係者38人が、改めて十次郎の功績を見詰め直した。[br][br] 十次郎は岩手県花巻市生まれ。世界的ベストセラー「武士道」で知られる新渡戸稲造は三男に当たる。[br][br] 藩の要職を歴任する傍ら、父傳(つとう)が着手した三本木原の開拓に携わり、人工の稲生川の上水に成功したほか、今日の市街地の基となった碁盤目状の都市計画の立案などを行った。晩年は藩財政の再建に奔走したが失脚、47歳で亡くなった。[br][br] 三本木原開拓を巡っては、「開拓の祖」と言われる傳は知られている一方、十次郎については研究資料が少なく、埋没している。大会は生誕200年の節目に十次郎を顕彰しようと、市内外の関係者でつくる実行委員会が主催した。[br][br] 大会では講演やミニフォーラムが行われ、十次郎の精神が稲造に受け継がれたことなどを共有した。[br][br] 最後に、実行委員長の友田博文・三戸町教育長は「十次郎の足跡についての研究が今後、進むことを願っている」と述べた。ミニフォーラムで新渡戸十次郎の功績について語り合う参加者