【世界のJOMONへ】第2部(4)亀ケ岡文化

弘前大で保管されている亀ケ岡文化の品々と、同大の関根達人教授=2月、弘前市
弘前大で保管されている亀ケ岡文化の品々と、同大の関根達人教授=2月、弘前市
外見上は分からない土器の裏側にまでびっしり施された文様。そして赤く漆が塗られた器―。 縄文時代の終わりの約3千年前ごろから、北海道南部と東北地方で花開いた「亀ケ岡文化」。緻密な土器や漆塗り製品、土偶、土製の仮面などに代表される。八戸市の是川.....
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 外見上は分からない土器の裏側にまでびっしり施された文様。そして赤く漆が塗られた器―。[br] 縄文時代の終わりの約3千年前ごろから、北海道南部と東北地方で花開いた「亀ケ岡文化」。緻密な土器や漆塗り製品、土偶、土製の仮面などに代表される。八戸市の是川石器時代遺跡を構成する中居遺跡も同文化の遺跡の一つだ。 同文化の名称は、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産で、大きな眼鏡をかけたような形の遮光器土偶で有名な、つがる市の亀ケ岡石器時代遺跡に由来する。同市教委社会教育文化課の羽石智治さんによると、同遺跡は土器(瓶=かめ=)がたくさん見つかったことから「亀ケ岡」の名が付いたという。[br] 縄文時代の文化は今の日本語の方言のように、各地域で違いがあった。弘前大学人文社会科学部の関根達人教授によると、それぞれの文化は土器などの出土品や環状列石のような構造物で定義づけられるという。[br] 亀ケ岡文化は、遮光器土偶や石棒などの祭祀(さいし)に関わる品のほか、デザイン性に富んだ土器や漆器などが特徴だ。芸術性の高さが注目されがちだが、関根教授は「必要以上に手間をかけて作った美しいものが、芸術品ではなく日常的に使われていたことこそが特筆すべき点だ」と指摘する。[br] 同文化の土器などは出土数の多さから、普段使いされていたものだと考えられている。さらにそれらの中には、壊れていないにも関わらず廃棄されているものもある。[br] 日用品を美しく作ることに労力を惜しまなかった当時の人々について、関根教授は「あえて生産性を上げようとしなかったのではないか。あくせく働いて生産性を高めようとするのではなく、小さな社会を充実させて長く維持しようとしていたのではないか」と推測。その上で「資源の枯渇が見え始めた現代も、サステナビリティ(持続可能性)に関心が移っており、当時の価値観は、現代社会を生きるわれわれにもつながるものだ」と持論を展開する。[br] 亀ケ岡文化の出土品と似たものは、文化圏外とされる兵庫県などからも出土している。2017年には、沖縄県の平安山原はんざんばるB遺跡から同文化の土器に似たかけらが見つかった。[br] 土器を作った人が、東北から沖縄まで移動したのか。それとも、同文化の土器に関心を持った他の地域の人々がまねをして作ったのか。[br] 関根教授は土器が作られた場所を特定するため、平安山原B遺跡の土器に含まれる成分を分析した結果、九州の火山ガラスを含んでいることが分かった。これは、九州で作られた土器が沖縄まで運ばれていたことを示しているという。[br] 関根教授によると、当時の琉球諸島(沖縄)はいわゆる「縄文文化」ではなく、別の文化圏だった。「それでも、縄文の土器や土偶は魅力的に映ったのだろう」と関根教授。道南と東北地方で花開いた亀ケ岡文化は、遠い海の向こうの人々をも魅了していたのかもしれない。その広いつながりは、最新の研究を経て明らかになりつつある。弘前大で保管されている亀ケ岡文化の品々と、同大の関根達人教授=2月、弘前市