中山 厳氏

アイスホッケー競技の日本代表選手として、1972年の札幌冬季五輪から3大会連続で五輪に出場した中山厳(なかやま・げん)氏が7日午前1時、病気のため八戸市内の自宅で死去した。70歳。北海道釧路市出身。自宅は八戸市根城8の11の63。火葬祭、通.....
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 アイスホッケー競技の日本代表選手として、1972年の札幌冬季五輪から3大会連続で五輪に出場した中山厳(なかやま・げん)氏が7日午前1時、病気のため八戸市内の自宅で死去した。70歳。北海道釧路市出身。自宅は八戸市根城8の11の63。火葬祭、通夜祭は、近親者で執り行う。葬場祭は、14日午前11時から、八戸市青葉1の18の7、報恩会館柏崎で行う。喪主は長男渉(わたる)氏。[br] 中山氏は北海道釧路工業高卒業後、当時のアイスホッケー日本リーグの「西武鉄道」に入団。リーグ優勝や全日本選手権制覇に貢献し、冬季五輪の日本代表選手として、72年の札幌大会、76年のオーストリアのインスブルック大会、80年の米国のレークプラシッド大会と3大会連続で出場した。[br] 西武鉄道を退団後は、81年から八戸市内の会社に勤務し、実業団チーム「八戸市役所」に所属。国体の青森県代表選手、監督として優勝に貢献したほか、青森県立八戸高の監督を務めるなど、競技の普及、振興に尽力した。